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大阪高等裁判所 昭和44年(う)325号 判決 1972年9月28日

本店所在地

大阪府八尾市光南町一丁目三九番地

八代油脂株式会社

右代表者代表取締役

北野栄太郎

本籍

大阪府八尾市光南町一丁目三九番地

住居

右同所

八代油脂株式会社

代表取締役

北野栄太郎

明治四一年三月四日生

右の者らに対する法人税法違反被告事件について、昭和四三年一二月二七日大阪地方裁判所が言渡した判決に対し、被告人らの原審弁護人安富敬作、同山田正から各控訴の申立があつたので、当裁判所は次のとおり判決する。

検察官 村上惣一 出席

主文

本件各控訴を棄却する。

理由

本件各控訴の趣意は、弁護人安富敬作、同山田正、同安富巌連名作成の控訴趣意書記載のとおりであるから、これを引用する。

論旨は要するに、原判示第一および第二の各事業年度における被告人会社の所得金額として原判決の認定したところは実際の所得金額に比し多額に失し、この点において原判決には事実の誤認がある、というのである。

よつて案ずるに、原判決挙示の証拠によると、原判示の事実は、所論の所得金額の点をも含め、優にこれを肯認することができる。すなわち、これらの証拠によると、被告人会社は植物性油脂の加工ならびに販売などを業とするものであり、被告人北野は同社の代表取締役として同会社の業務を統括していたものであること、被告人北野明良らと共謀のうえ、被告人会社の法人税を免れようと企て、同会社の清水商店、浅田石けん、川口商店等に対する売上の一部を公表帳簿より除外し、また、石黒商店、植田商店、金沢商店等実在または架空の商店より架空の仕入れを公表帳簿に計上し、更には架空の経費を計上する等の方法で、原判示第一の昭和三六年一〇月一〇日から昭和三七年三月三一日までの事業年度(以下この事業年度を第一期という)においては、別紙別口貸借対照表(一)記載のとおり、六、二一四、一七七円の所得を、原判示第二の昭和三七年四月一日から昭和三八年三月三一日までの事業年度(以下この事業年度を第二期という)においては別紙別口貸借対照表(二)記載のとおり、一六、五六九、七一七円の所得をそれぞれ秘匿したこと、そして、原判示第一および第二に記載のとおり、被告人会社の第一期の所得金額は七、二四九、五〇六円で、これに対する法人税額は二、七〇四、八一〇円であつたのに、所得金額は一、〇三五、三二九円で、これに対する法人税額は三四三、四一〇円である旨、また、第二期の所得金額は一九、七二九、五二六円で、これに対する法人税額は七、二三三、七三〇円であつたのに、所得金額は三、一五九、八〇九円で、これに対する法人税額は九四五、二一〇円である旨、それぞれ過少に記載した法人税確定申告書を提出し、もつて、第一期の法人税二、三六一、四〇〇円、第二期の法人税六、二八八、五二〇円をそれぞれ免れたこと、以上の事実が認められ、これによると、原判示の各事実は明らかというべきである。

ところで、所論は、被告人会社はその設立時(昭和三六年一〇月一〇日)に多量の製品等の在庫品があつたところ、これを昭和三八年三月末までにほとんど処分したが、右在庫品が簿外となつていたために、利益が実際より多く計上されるおそれがあつたので、これを防止するために、帳簿上の処理として右在庫品(簿外棚卸店)につき架空仕入等の方法をとつたものであつて、右簿外棚卸品の減少を考慮すれば当然第一期および第二期の各所得は原審認定より少くなる、というのである。そして、右主張を控訴趣意書において援用する弁護人作成の昭和四一年一一月二五日付上申書に即してみると、第一期々首における簿外棚卸金額は二一、六二二、二二〇円(ドラム鑵二、六九〇本分)であつたのが、同期末には二〇、六五二、九四三円(ドラム鑵二、五八三本分)となり、さらに第二期々末には六、〇七七、〇四七円(ドラム鑵六一九本分)に減少したから、所得の計算にあたりこれら簿外棚卸金額の減少を計上すると、被告人会社の実際の所得は、第一期において六、七二五、九九二円、第二期において一一、六三三、一二六円に過ぎない、というもののようである。

しかしながら、なるほど、前掲証拠によると、被告人会社は被告人北野が個人として営業していた北野栄太郎商店を会社組織に改めたものであつて、会社設立時の第一期々首において、いわゆる持込み資産である油脂原料等簿外の棚卸品の存在していたことは所論のとおりと認められるが、その種類、数量等を記載した帳簿類等当時の記録がないために、会社関係等の供述等によつてこれを認定するほかないところ、被告人会社の経理を担当していた下地敏雄の原審証言および同人の検事に対する供述(昭和四〇年五月八日付のもの)、四日市工場長酒谷茂治の収税官吏に対する供述、北野明良の検事に対する供述(同年五月一〇日付のもの)、下地敏雄作成の棚卸確認書(記録三二八丁ないし三三三丁の分)を総合すると、被告人会社の第一期々首における簿外棚卸金額は、所論のように二、一〇〇余万円もの多額ではなく、五〇〇万円ぐらいのものであり、しかも、それは、第一、二期を通じ、各期末において期首よりも減少することなく、ほぼ同類か或いはむしろ増加していつたとの事実が認められるのである。被告人北野は、弁護人作成の供述録取書において、会社設立当時の簿外棚卸品として、成法中学校横の広場に約八三〇本、光南町の自宅に約三〇〇本、川向いの倉庫に約四五〇本、四日市工場に約二五〇本、大阪工場に約四〇〇本のガス油、大豆油、ソーダー油滓等の入つたドラム鑵があり、その他大阪工場のタンクやカマにドラム鑵約三〇〇本分の製品または半製品があつたが、これらの大部分は昭和三八年三月までに他に転売したり脂肪酸の原料として使用してしまつたと述べており、原審高橋肇証人は光南町、同竹田信一証人は川向いの倉庫および大阪工場、同尾谷九市証人は成法中学校横広場、同酒谷茂治証人は四日市工場の各ドラム鑵の数につき被告人北野の供述にそう証言をしている。しかしながら、右高橋、竹田、尾谷の各証言はその証言内容じたいに徴し果して当時のドラム鑵の数を正確に証言しているかどうか疑わしいものであり、酒谷証言は前記同人の収税官吏に対する供述に反するものであつて、直ちにこれを信用しがたいものである。そして、成法中学校横広場のドラム鑵の数等については、当時同広場の近くに住む木長三郎他二名作成の供述書および同広場の所有者紀村基守の収税官吏に対する供述によると、昭和三六年二月ごろから同年暮ごろにかけて、同所に被告人会社のドラム鑵が置かれていたが、その数は一番多い時で約二七〇本、すくない時には一〇本ぐらいであり、自動車で持つて行つたり来たりしてその動きがはげしく、ほとんどその積み降しは軽そうに一人でしていたとの事実が認められるので、同所に八三〇本もの油や油滓の人つたドラム鑵が置いてあつたとの被告人北野の供述は疑わしいというべきである。また、昭和三七年四月二五日に撮影された被告人会社大阪工場の航空写真二葉(記録一三五七丁および一三五八丁)によると、なるほど所論指摘のように多数のドラム鑵が同工場敷地内に置かれていることが認められ、被告人北野は、原審において、右ドラム鑵のうち同写真(D)点の六段目以上のドラム鑵を除くその余のものには油や油滓が入つていたと供述し、原審高橋証言もこれにそういうものであるが、これらの供述は、ドラム鑵の積まれている状況およびその場所等同写真により窺われる事実、岡村国一の検事に対する供述および原審下地証言に徴し、到底信用できないところである。そして、これらの点に徴すると、被告人北野は簿外の在庫につき自己に有利に実際より多く述べている疑があるとみるべく、同人の簿外在庫に関する供述はこれを全面的に採用することができない。なお、所論は、第一、二期を通じて被告人会社の仕入れた原料に油分の回収率を乗じて得た製品の量と、同期の売上とを対比すると、仕入れた原料のみで販売した製品を製造することは不可能であるから、簿外在庫が当初から存在し、かつ、これが減少したことは明らかである、と主張するのである。しかしながら、松原繁左右、則武要、佐藤進、赤松茂男、林隆夫の各検事に対する供述によると、油分の回収率は必ずしも一定しているのではなく、油滓等の原料或いは加工の方法等によつてかなりの開きが認められるので、平均的な油分の回収率をもつて製品の数量を算出することは妥当でないと考えられ、所論はこれを採用することができない。

かくして、被告人会社の簿外棚卸金額は、第一、二期を通じ、各期末において期首より減少した事実はなく、被告人側に有利にみても同額であつたと認むべきであるから、それが減少したことを前提とする所論は採用しがたいところであり、簿外棚卸金額に変動がないとして被告人会社の所得金額を確定した原判決の事実認定には誤りがない。その他所論にかんがみ更に記録および証拠を検討し、かつ、当審における事実取調の結果を参酌しても、原判決には所論の事実誤認のかどはなく、また、所論のいう公訴事実の不存在についての立証責任を被告人に負わせたとの違法も見出せないから、論旨は理由がない。

よつて、刑事訴訟法三九六条に従つて主文のとおり判決する。

(裁判所裁判官 河村澄夫 裁判官 瀧川春雄)

別口貸借対照表(一)

期首 36.10.9

期末 37.3.31

<省略>

別口貸借対照表(二)

期首 37.3.31

期末 38.3.31

<省略>

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